もう50年も前の事
静岡県清水市袖師町の海水浴場で起きた出来事です。
五歳の私は、姉か妹を連れて沖に行った父の背中だけを見て
近浅い海べをよちよちと後を追った。
記憶にないぐらいの早さで それまで直線的で眩しい太陽の景色から
思い出しても息苦しくなるようなキーンとしてしかも
グラグラとした太陽に一変してしまった。
そう、私は溺れたのです。
もがきながら、明るい方を見た。あの海水越しの水面は忘れられない。
子供心にもうダメかもしれないと思った。。。何秒間だったんだろう?
スローモーションで再現される。。
とその時、信じられないくらいスーーッと と言うかフワ~っと
体が浮いたのです。重苦しくまとわりついていたあの海水から
解放されました。
あの時、死んでいたかもしれない。
砂浜で見ていた母親が大きな声で叫んだ。
すると、近くにいた中学生くらいの男の子が
母親の指さす方へ走って行ったのです。
私は助けられました。
私には命の恩人がいます。
母親は助けられた私に気を取られ、男の子の名前を聞いていなかった。
彼は今頃どうしているのだろう?
私を助けた事を誇りに思っていてくれてるだろうか?
立派な人になっているだろうか?
って言うか、立派になっていなくてもあの時は
立派だったよ。
私の未来を変えたんだよね。
私は子供を産み、孫も産まれた。
すごい事を彼はしたんだよ。
私はこの事を覚えているし(母親に聞かされたからではない)
この事で私の生き方が定まったのかもしれない。
「他人の力になりたい」「自分だけ幸せになっても
それは本当の幸せではない」
「人の痛みが我が事のように思える」
など、いいかっこしいみたいに聞こえるけど
本当にそう思う。
とは言っても、力が足りない。
大それた事ができる力はないけれど
せめて私にかかわる人たちの幸せを助けたい。
ひところの生活よりは厳しくなってきたこのごろ、
自分だけじゃないみんなが苦しい、今の私は
食べて行けないほどじゃなく、今までの贅沢を
ちょっと我慢して、誰かに回してあげれる。
お金の問題だけじゃなく、職場の雰囲気だって
なんとか明るくしたい。
職場にはいろんな境遇の人がいる。
直接私が触れられる 小さな世間。
溺れる者に藁しか差し出せないとしても、
差し出さずにはいられないだろう。
「今の自分にできる事」をする事が私の使命。
あの時、私の魂とちょっとした神様が入れ替わったんじゃないだろうか?
なんて図々しい事を思ったりもする。
50年も生かされた理由を知りたい。
神様の意図したように私は生きているのだろうか?
思い込みの激しいアホのつぶやきです。
孫の手神の手
